新年明けましておめでとうございます。
と言って次に続く常套句として「新しい年が皆様にとって希望につながる明るい年となります様に」となるが、今年も紛れもなくそうした思い、願いを祈りを持って会員の皆様に申し上げます。
一方、もう何年も、いや何十年も、ひょっとすると物心がついたころからかもしれないが、新しい年が明けるごとに「今年は・・・」、「今年こそは・・」と新たに始まろうとしている人生の新局面に立って願う事は、その多くが自分自身の成長や幸福、身近な人々の日々の健やかな暮らしや営みなどである。
それは「家内安全」、「商売繁盛」といった四文字熟語に象徴されるように限りなく卑近な生活空間内の事どもであった。スノビーなと言ってしまえばそれまでだが、それは誰にも実感をもって共感されたし、共有し易い願いであったし、そこにささやかな一体感を感じて来た。
しかし、幸か不幸か世の中は科学技術分野を中心に、節度をわきまえない身勝手な自己増殖によって人類のコントロールの利かない、ダッチロール事態を呈してしまっているようだ。クワバラ! クワバラ!
今や希望に満ちた新しい年の事どもを個々の経験や実感の延長線上では描ききれなくなっているのかもしれない。
つまり日々の生活が限りなく間接的、抽象的な手がかりの中でバーチャル的な営みへと突入し、人類はその仮想現実の中であたかも限りなく主体者ぽく擬似的に生かされているのかもしれない。人類のそのリアティの欠落した軽薄な烏合の衆的実存こそがこのところの地球上の数多の惨劇や悲劇の犯人であり、地球破壊も可能となるボタンのスイッチを自らの心身の痛み感覚を伴うことなく押せる非人道的な行為者にしているのではないか。まるでいつでもリセットできるバーチャル世界かのような惨劇事態の数々、一方ではそんな事が現実であってはならないこの厳しい状況に、我々個々人がどこまで実効性のある抑止的コミットメントができるのだろうか。個人としての責任が見え難く、負い難くなっている社会が、ますます一人ひとりの明日に向けてのささやかな希望を持つことを遠ざけてしまっているようだ。
そんな厳しい時代に向き合わざるを得ない今、大切に思うことは互いに許しのうちに謙虚さを持ち寄ること、まさに我々が掲げるpassion & missionではないだろうかと改めて思う新年である。 Be Peace with US!(2023.1)